「彼はどこへ行ったのかしら。」

女は答えを求めない言い方でぽつりとつぶやいた。

「彼というと」

黒い古風なベストを着た男が、グラスを拭いていた手をふと止める。

「最近、一緒にいらっしゃっていた方でしょうか?」
「そう。」
「あの、紺色の目をした方……」
「そうよ。」

女は正面に掛かった動かない古い時計の方を見ながら、また同じように言う。

「彼がいなくなってしまったの。」

いなくなってしまった。その言葉は本当に何でもないような顔をして、ここ数日の間ずっと、寝ている遊泳魚のようにとまることなく穏やかに彼女の中を泳ぎまわっていた。

「いなくなってしまったというと?」

女は冷めたコーヒーを一口飲んで、「彼」がそれをするときの動作を思い出しながら、

「死んだのよ。」

と言った。

「でも……それだけなの。死んだだけ。体が腐ってしまっただけなのよ。」

彼はどこへ行ったのかしら。


女はコーヒーを飲み切った。