ハタは時々猫やギターについて考える。2匹の猫の話。赤いレスポールをどこへやったか。内側に音が溜まっていることにも気が付く。溜まっていると思うだけで音は聞こえないが、以前誰かに「ハタからは音がする」と言われたことを思い出したりする。きれいな音と言っていた。どんな音だろう。
考えると言ってもそれはあまりにとりとめのない意識だ。彼にとっては気分のようなものなのかも知れない。

「……」

蜜の部屋は静かだ。耳を澄ませば煙草が燃える音すら聞こえそうなほどに。

「ねえ」

ハタは蜜の部屋にいる。赤いソファの上で本を読むか煙草を吸うか何か食べるか、シャワーを浴びるか眠るか、特に何をするでもなくふわふわと毎日を過ごしている。蜜は毎日出かけて食べるものと煙草を買って帰ってくる。今までにハタを飼った誰よりもハタに対して素っ気無かったけれど、本当に「いつまででも」飼うつもりらしく、彼のための買物をルーティンワークの中に組み込んで生活しているようだった。

「毎日塗り替えるんやね」

蜜は赤いソファの向かいにある華奢な椅子に座ってペティギュアを塗っている。帰ってきて食事をして、シャワーを浴びてからそれをするのがいつもの流れだ。そのたびに鼻につくつんとした匂いが空気をくらくら揺らすのをハタは感じた。

「……放っておくと」
「え?」
「腐ってしまうのよ。先の方から泡になってしまうの」

蜜は少し顔を上げてハタの目を見て、また自分の指先に視線を戻して言った。

「泡?」
「溶けてしまうの。境目があやふやになってしまうのよ。」

蜜の爪が10本全て赤から金色になる。
赤の前はエメラルドグリーンだった。その前はベージュ、濁った青、オレンジ、白味がかった水色、パールグレイ……
20本もありそうな小さな瓶は全て棚に仕舞ってある。

「腐ったことがあるの?」
「ないわよ。」

まだ腐ったことのない蜜の爪は長かった。

『この部屋にいては、……』と、白い壁を見てハタは思う。
『この部屋では多分何も腐らない。』何かに対して密閉されている気がする。

この部屋、無機質な水槽に入って何日経ったかは知らないが、まだ水は透明に澄んで静かに呼吸ができた。ハタは、いつかの、レースのカーテンとアイボリーのソファのあった部屋に少し似ているな、と思って、その後少しも似ていないか、と思い直した。

蜜がコーヒーを淹れた。

『でもどこかに似ている?』

コーヒーを入れても煙草を燃やしても火の匂いのしない場所。
それが、よく見る夢と同じであることに、彼はまだ気づいていない。


to be continued later...